日本初の飛行機考案者、二宮忠八シリーズを再生産しました。
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初版は2013年5月発売。京都の飛行神社にて販売をスタートしました。
開発のきっかけは二宮忠八の描いたこの図に惹かれたことでした。
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この図は特許図面ではなく、軍部への上申書です。
軍部に飛行機製作への資金援助を求めたのですが、当時はこういった発明は欧米が進んでいましたので、軍部としては、日本人が飛行機械をつくることなど不可能と捉えて、無視されたとあります。ライト兄弟が初飛行(1903年)に成功する十年も前ですから、軍部の判断はいたしかたないところですね。
忠八はまず手始めにゴム動力のカラス型「飛行器」をつくって飛ばしました。1891年のことです。世界をみると、その20年前の1871年にフランスのアルフォンス・ペノーがゴム動力飛行機を製作しています。(ペノーの飛行機)
当時その情報を得たとは思えませんので、忠八自身による鳥の観察から独力で作り上げたと考えられます。少年期にも独創的な凧をつくって販売していたところからも、忠八は相当工作に慣れていたことがうかがえます。上図も忠八本人が描いています。日本画の心得もある忠八らしい設計図になっていますね。
その後、薬品会社で昇進し、飛行機製作のための資金のめどがついた矢先にライト兄弟の初飛行を知り(初飛行から数年後の雑誌で)、玉虫型飛行器の「実機」を破壊したということです。
以降、飛行機製作からはいっさい手を引き、食卓塩のメーカーを創業します。
そして、現在も京都・八幡市にのこる飛行神社を創建。航空安全祈願のため、多くの航空関係者が訪れる場を提供しています。
玉虫型飛行器を設計する前段階の出張記録を見返しました。
2012年8月25日、名古屋市科学館にて航空展を見学。偶然、玉虫型飛行器とカラス型飛行器の「実物」の展示をみる。
これは、忠八の生まれ故郷である四国愛媛は八幡浜市の教育委員会所蔵のもの。
元からこの形状と、本当に飛んだのか?という興味で、商品化したかった飛行機だったのです。
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2012年9月3日、京都・八幡市の飛行神社を訪問。模型化の打診、OKをいただく。
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2012年11月6日、飛行神社にて、展示模型を採寸させていただく。
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もう十分、試作できそうな情報を得たところで、飛行神社の友田宮司から新たな情報をいただく。
石川県へ!
2012年11月15日、特急サンダーバードに乗車、石川県航空プラザを訪問。
玉虫型飛行器の復元機を採寸する。
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そして館長から次なる情報が。
京都のメーカーも復元機を製作したとのこと。
翌16日、復路サンダーバードで京都のK科学本社を突撃訪問。
警備室で訳を話すも、訪問先担当者が決まっていないと入館できず。
粘っていましたがシャットアウトされてしまう。
と、そのとき電話を切ったもうひとりの警備の方が「その復元機製作、監修したのオレだよ」
これがEXPO ’85に展示された復元機と思われるが、詳細は不明。
午後、飛行神社へ。これで3度目の取材。
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9月に採寸させていただいた模型とは別に、ガラスケースの中で一般公開されているものもあります。
ともかく、忠八自身が作ったいくつかの模型も、後年復元された模型も、すべて微妙にかたちが違います。
上の画像の模型は、二宮忠八ご本人が、後年、軍部からもその貢献を認められた後、日本にも初期の飛行機発明があったことを後世に残そうと製作されたものだそうです。(2020年6月29日、飛行神社様に再確認)
エアロベースの玉虫型飛行器は、この白く塗られた模型を元に、採寸したデータを合わせて設計しました。
カラス型飛行器も、やはり飛行神社に展示されているこちらを元にして形状を決定しました。
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次回は、玉虫型飛行器、カラス型飛行器、それぞれのキットを組み立てながら解説していきます。