タミヤを目指して作り続けた作品をご紹介します。
5歳~20歳まで
(上)【エアロベース岩見慎一による、タミヤカタログのための完成見本】
エアロベース創業前は、静岡市の総合模型メーカー・タミヤに勤務していました。
子供の頃に初めてタミヤカタログを見たときのワクワク感!
模型作りの楽しさを世界中に伝えるには、タミヤに入社するしかない!
模型メーカーは、子供の頃からの憧れの職業だったのです。
5歳から作り続けたプラモデルをずらっと並べることで、模型メーカーという仕事を35年やってこれた何かが伝わると思い、このページを開設します。時間をかけて1点1点アップしていきます。気楽に気長におつきあいのほどよろしくお願いします!
19歳の頃の作品です。 タミヤを一躍世に知らしめた1/12電動ラジコンカー、ポルシェ935ターボを半分のサイズで手作りしたディスプレイモデルです。
サーボや変速機、モーター、バッテリーなど全て1/2サイズ、プラ板によるダミーです。もちろん走りません。20歳でタミヤ入社後すぐの社内コンテストで銀賞をいただきました。この年(1986年)、1/24RCカー・タムテックが初めて発表されました。静岡ホビーショー会場に飾られた私の作品と、新製品タムテックが紛らわしいということで、ちょっとした波紋がありましたが、憧れの滝博士から「やるじゃん」と声をかけていただいた思い出の一品。
18歳から19歳にかけて作ったジオラマ。馬の塗装のために、初めてエアブラシを使いました。関西AFVの会という戦車模型好きの集まりが大阪で開かれ、腕試しに参加しました。審査方法が素晴らしかった。参加者各人が3票もっています(自分に入れても良し)。偉い人からもらう賞より、ライバル(仲間)から選ばれた賞というのがうれしかったです。ゲストとして来場されていたタミヤ設計部の田村さん(現在トワイライトモデルを主催)から、タミヤニュースに掲載したいとお声をかけられました。間髪入れず一言「入社したいです」 翌週、タミヤから会社案内と一次審査の日程が届けられました。もう後戻りはできない。模型人生の始まりです。
1985年の夏。いよいよ静岡市のタミヤ本社で一次試験に挑むことになりました。希望の部署は企画部・工作室(当時の名称)で、メインの仕事はタミヤカタログのための見本作りでした。役員面接で、話も始まる前にボストンバッグからプラモデル作品を取り出し、大テーブルにずらっと並べました(役員の皆様、苦笑)。現物以外にも、アルバムを作って持っていきました。現物はその場で評価されますから、上手く作ることを意識。アルバム用の作品は、タミヤカタログの仕事を意識して、分野問わず何でも作れることと、速く作れることをアピールしました。
アルバム作品の撮影は、当時通っていた大阪デザイナー専門学校の姉妹校、大阪写真専門学校の先生に依頼しました。